6月10日6時40分。
クラクフ駅から発車する列車に乗り込む。
寝ぼけ眼で窓から望む景色は、
「世界の車窓から」そのままの情景を、睡魔が襲う脳に映す。
まさにその線路の上を、かつて数えきれないほどの罪なき人々が、
絶望の闇に包まれた貨車に乗って運ばれていたことを知るのは、
もう少し先のことである。
列車に揺られることおよそ1時間30分。
今回の旅の最大の目的である、
アウシュビッツ博物館のあるオシフィエンチム駅へと辿り着く。
小学生のころ、沖縄や広島を訪れ、戦争というものを知って以来、
いつかはこの地を訪れてみたいと思っていた。
人間の死を、数で持って比較することは好かないが、
広島や長崎の悲劇をはるかに超える数の人が、
ただその存在を理由に殺された。
その場所を訪れることは、
義務感のようなものと共に、
ある種の興味、興奮を幼心に覚えていたことも、
また事実かもしれない。
ガイドをお願いした中谷さんと合流し、
いよいよ見学の始まりである。
天気は晴れ。
清々しいほどに青い空と、印象派の描くような雲。
これらが悲劇の地と作るコントラストが、
軽く汗ばむような気温とともに、
収容所を冷たく照らしだす。
無邪気な小鳥のさえずりすらも、
まるで残酷な皮肉を歌うように聞こえる。
まず出迎えたのは、
”ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)”の一文が刻まれた門。
Bの文字が逆さなのは、
単にデザインの問題との説が最近では有力らしい。
高圧の電流が流された鉄条網は、脱走を防ぐためだけでなく、
男女の収容施設を分ける役割も果たした。
“下等種族”の”断種”を試みた、当時の政権の意図が垣間見える。
まだ朝早い時間帯にもかかわらず、
敷地内には老若男女、多くの観光客が、
”人類の負の歴史”を自らの目で見るために、訪れている。
中には、旧約聖書を片手に見学をする少年少女の姿もある。
彼らはユダヤ人であり、
先祖の直面した”悲劇”の跡を辿りに来ているらしい。
民族という繋がりがもたらす当事者性は、
彼らの心に、この景色をどう写すのだろうか。
敷地内は、かつて収容所として使われていた建物の中の幾つかが、
博物館として公開されている。
収容所の写真、全体の模型、残された物などを巡りながら、
当時の状況を、少しずつ紐解いていく。
忘れてはいけないのは、ユダヤ人以外にも、 ロマ(ジプシー)、ソ連軍の捕虜、 その他少数民族、同性愛者、障害者なども、 ここに連れて来られたという事実である。 |
収容所での生活は、
”悲惨”と言った言葉で突き放しては、いけないものであるように思える。
まず、収容所に列車で運ばれてきた人々は、
身ぐるみをすべて、更には体の一部まで、剥がされる。
カバン、服、靴、義手や義足、髪の毛、老いも若きも意に関せず。
そうして得られたものは、書類上で、モノとして処理される。
誰のものだったかは関係ない。
中央の上層部には、報告書と物品がただただ送られてくる。
後で返せるようにと、カバンには名前を書かせた。 当然、この名前の主のもとに、 これらのカバンが戻ることはなかった。 |
小さな服や靴が、幼い命をも奪われていたことを示す。 |
ある建物から、泣き叫びながら少女が飛び出してきた。
収容所の生活の様子を展示した建物だ。
何が彼女の感情を爆発させたのかはわからないが、
彼女の想像の許容量を超えた狂気が、
ここに存在していたということだろう。
身ぐるみを剥がされた後、
人々は、労働が可能かどうかを判断される。
働ける者は、働き続けることのギリギリの環境で労働を強いられる。
一方、働けない者は、ガス室へ送られる。
シャワーを浴びると言われて運ばれたのは、有名な話だ。
詰め込まれた人々の上から、チクロンBが投げ込まれる。
発生したガスが、人々の息を奪う。
魂の抜けた体は、隣の焼却炉で燃やされる。
かつて数えきれない数の命を奪ったその部屋は、
汗ばむほどの陽気だった外の世界とは、違う空気が流れている。
寒気すら感じる、張り詰めた空間の中で、
手向けられた花束だけが、鮮やかに浮かび上がる。
すぐさまガス室に運ばれなかった者も、
過酷な環境下で労働を強いられ、
2〜3ヶ月お迎えが伸びただけである。
“生かさず殺さず”とは、江戸時代の日本の話であったか。
どうやらここでは、そんな考えは浮かばなかったようである。
憎らしいほどに秀逸なのは、
反乱が起きにくいように、被収容者の中で序列を作ったことである。
(収容する側にとって)模範的である被収容者に、
少し優遇した待遇を与える代わりに、
他の被収容者の監督を任せたりすることで、収容所内の秩序を保ったのだ。
上に上がるインセンティブを与えるとともに、
下に下を作ることで不満を減らす。
それでも歯向かうもの、逃げ出そうとするものはいる。
しかし、そんなものは撃ち殺してしまうまでだ。
通称、”死の壁”。
数々の”反逆者”が銃弾に倒れた場所。
この地を訪れたユダヤ人が積み上げた小石は、
弔いの意を示すらしい。
ひと通り見学を終えた後は、
バスで第二収容所であったビルケナウへ向かう。
“絶滅収容所”とも称されるその施設は、
証拠隠滅のために壊されたり、戦後連合軍が破壊したりして、
現在ではほとんど建物が残っていない。
ただその広さばかりを際立たせるばかりである。
かつて存在した収容施設は、
そのほとんどが急増で建てられたものであったが、
元々馬小屋として使用されていた建物もあったという。
ここに運ばれてきた人々にとっては、
かつての住人であった馬くらいの扱いですら、
マシであったかもしれない。
“どうしてこんなひどいことを”
そんな疑問が浮かぶのは必然であろう。
“二度とこんなことを起こしてはならない”
そう誓いたくなるのも当然であろう。
しかし、人類はまた同じ過ちを繰り返すかもしれない。
全ては細分化されたシステムのもと、
緻密に、着実に、粛々と、全体像を上手く隠しながら行われた。
例えば、ガス室の死体を燃やす役目は、
収容された人々の役目であった。
収容者側は、直接自らの手を汚す事無く、
被収容者を精神的、肉体的に追い詰めることで、
統制し、管理し、抑圧した。
戦争という大きなシステムのもと、
収容者側は、役割を分担し、
官僚的にその職務を全うするだけでよかった。
医者は医者の役割を、建築家は建築家の役割を。
そうすることで、
ゲーム画面の向こう側では、勝手に人が死んでいくのだ。
言葉は人を盲目にし、価値観を変える道具として使われる。
今の時代だってそれは変わっていないはずだ。
不景気のはけ口を、移民や隣国の国民に求める姿や、
右翼政党が力を獲得していく様子は、
人類史上最大の戦争前夜を彷彿とさせる、と、
ガイドの中谷さんは語る。
人間は、同じ人間に勝手にレッテルを貼り、線を引き、差別する。
残酷で見るに堪えない現実は、大きなシステムのもと、
細分化することで覆い隠される。
関わる人が増え、作業が分担されることで、
全体が見えないまま、
搾取の上で生産された商品は世に出回り、
我々はそれを消費する。
想像する力を、真実を見る勇気を。
“悲劇”を”悲劇”として見るのは簡単だ。
しかしこれは決して劇やミュージカルではない。
現実に起こった出来事であり、
これからも起こる可能性のある、人間の弱さの結晶である。
6月の太陽は眩しく、
僕らを、過去を、未来を照らす。