2014/03/31

Superdry 極度乾燥(しなさい) の変な日本語

極度乾燥(しなさい)

ヨーロッパに訪れたことのある人の中には、
この奇妙な日本語の書かれた服を見たことのある人も多いのではないでしょうか。

実はこのブランド
Superdryという、イギリス発のブランドで、
"極度乾燥(しなさい)"は、superdryの日本語訳です。

ホームページはこんな感じ→リンク

















とにかくこのブランド、ロンドンでは大人気で、
街を歩いていると、しょっちゅうこの服を着ている人に出くわします。
あのベッカムやらダニエル・ラドクリフやらも着てるとか着てないとか言われるくらい。
(NAVERまとめでも話題になってます笑)
しかもロンドンの超一等ショッピングストリートにお店があったりします。

お隣はバーバリー。実はこの通りにはユニクロもあります。

系統としてはアメカジっていうんですかね、そんな感じ。



店内は地上3階、地下1階でかなり広い。




















日本人としては、スーパードライと聞くと、
アサヒのビールがまっさきに思い浮かびますが、
こちらの記事いわく、
どうやらまさにスーパードライからインスパイアされているらしいです。
(ちなみに本家スーパードライも、結構ロンドンのパブやスーパーで手に入ったりします。)

どうして、こういう訳になったのかは知りませんが、
(google翻訳にかけたら、普通に"スーパードライ"と訳されました。)
もしかしたら、イギリスの人が"Superdry"と聞くと、
こういったイメージを浮かべるのかもしれません。
"super"は"すごい"とか、"ずば抜けてる"っていうニュアンスですし、
"dry"は、"乾燥"、"乾いた"って意味ですもんね。
ネイティブの人がぱっと見で、"superdry"と見ると、
めちゃくちゃ乾燥しているイメージをまず思い浮かべるか、
もしくは"dry"が動詞としても解釈できるので、"(しなさい)"を思い浮かべる。

つまり日本人が"極度乾燥"に抱くおかしなイメージを、
ネイティブの人は"superdry"に抱いていたのかもしれません。
(でも普通にdryにはお酒とかの"辛口"って意味もあったと思うんだけどな…)

と、ここまで妄想全開で考察してみましたが、
日本人の着ているTシャツがネイティブから見ればおかしく見えるというのは、
昔からよくある話で。(例えばこの記事とか。NAVERまとめにもなってます。)

中3の頃、2週間のニュージーランドホームステイの時に、
僕のホストブラザーが、
そういった日本人の変な英語が使われたTシャツとかの写真を集めた本を持っていて、
僕に見せながら大爆笑をしていて、
当然僕はいまいち何が面白いのかわからないので、
隣で苦笑いをしていた思い出がありますが、
案外、Superdryもそういう日本人に対する皮肉があるのかな?と思ったり笑

まぁそれは考え過ぎとして、
日本人がアルファベットをなんとなくかっこいいと思うように、
(Tシャツは別にしても、お店の名前とか、ロゴとかは英語が多いですよね。)
こっちの人は日本語、漢字をなんとなくかっこいいと思うようです。
日本人からしたらおかしく見えるのも承知で、
まぁデザインとして、ということなんでしょう。

ちなみにたまにですが、漢字の刺青も見ます。
こないだ近くのハンバーガー屋さんの店員さんの腕には
"一期一会"って彫ってありました。
多分彼は日本語勉強してる方だと思いますが。

そんな漢字ブーム巻き起こるロンドンで人気のSuperdry、
かくいう僕もいくつか買ってしまっています笑
なかなか秀逸だと思うんですよね、普通にデザインも好きですし。

というわけで、
最後にSuperdryで見つけた変な日本語を、
元の英語を考えながらご紹介します。
英語訳にすると、意外とそんなTシャツもってるかも…と言うのがあったりします。

というわけで僕の持っているものから。




















「皆の星」=「All Star」これは簡単




「連合仕事の供給」=「Union Workwear Supplies」訳が書いてあることもしばしば。

以降は、ウェブサイトから見つけたもの。
リンク貼りますが、切れてたらごめんなさい。

極度のガソリン」= 「Super Oil」多分
会員証な」=「???」謎すぎる。
陸上競技」= 「athletics」でしょう、これは簡単。
本物のスポーツウェア」= 「Real Sportswear」これはありそう。
優勝者」= 「Champion」これはブランド名でありますよね。
優れた配分」=「Great ...???」これなんですかね、allocation? distribution?
楽しみのための財」=「Money for Pleasure?」とかかな?何か意味がありそう。
狩り捕食者」= 「Hunting Predator?」Eagle(鷲)の絵が書いてあるので、関係ありそう。
自動車潤滑」=「Motor Oil」なぜか、自動車系、油系は多いです。
馬車業務用」=「???」元ネタわからなさ過ぎる…笑
堅い天候の会社」= 「???」Firmは"堅い"も"会社"も意味があるので使ってそう。
独創的」=「original」いやーごもっともです。

全然元ネタわかりませんね!笑
なにかアイディアがあったら教えて欲しいです。
以前「連合の矢」というのを見た時は、「United Arrows」だ!と気づいたのですが、
案外難しいですね。もう少しブランドに詳しい人だったり、
バイリンガルだったらわかるのかもしれません。

最後にこの間お店で見つけたものを。





「スペルドリ」=「Superdry」
一瞬何のことかわかりませんでしたが、
ローマ字読みしようとするとこうなりますね笑

Superdryはイギリスのブランドですが、
これだけ日本語が流行っているところを見ると、
"クールジャパン"、なんとかなるかもしれませんよ!笑

2014/03/30

Term2を振り返って

今日(3月30日)からサマータイムが始まりました。
急に1時間も日が長くなったので何だか不思議な感じがします。


3月21日をもって、SOASのTerm2(2学期)が終わってしまいました。
SOASはTerm1が10週間、Term2が10週間で基本的に授業は終了、
Term3は8週間位ありますが、基本的には試験のみになります。
(3学期のはじめに、総まとめ的な授業をするクラスもあります。)
簡単にまとめると、



こんな感じですかね。
Term1の間、Term2の間に、
それぞれReading Weekと呼ばれる休みもあって、
こうしてみると休んでばっかりですね笑

もっとも、それぞれの休み前後にエッセイが課されたりしますし、
春休みは実質試験の準備に追われる形になります。

今は春休みの2週目で、エッセイとの格闘も一段落したところなので、
Term2の振り返りでもしようかなと思います。

といっても、今回取っていた授業4つのうち3つは通年だったので、
Term1の時に振り返ってますが…

Term1は1週間の流れと一緒に振り返りましたが、
今回は授業ごとに。

◯Development Conditions and Experience

開発学概論的なやつでした。
Term1のときは開発がたどってきた歴史みたいなものが中心でしたが、
Term2は、もう少し各論的でした。
グローバリゼーションとか食糧問題といった開発の課題にフォーカスしたり、
国際機関、NGOといった開発に関わるアクターにフォーカスしたりと、
毎回違った角度から開発を学んだ印象があります。

他の授業と比べるとやはり基礎的で、
開発学部1年生必修ということで、生徒も1年生が多いので、
一番発言しやすいクラスでした。
「この問は、前に他のクラスでやったやつだ!」
っていう進◯ゼミ的なアハ体験もちょこちょこありました。

Term1でひと通り開発を学んだことで、
なんとなく開発に対するアカデミックの立場というか、
SOASの開発学に対するスタンスみたいなものがわかってきたのも、
発言が増えた要因かと思います。

一から開発学を始めた身分からすると、
総論を掴むのに良い授業でした。


ロンドンにも春が来ました。

◯Politics of Development

この授業は、Lectureの講師がTerm1とTerm2で変わります。
Term1はアフリカの政治と開発、
Term2はアジア(主に東アジア)と少しラテンアメリカの政治と開発について学びました。
この授業は政治学科の授業でしたが、
中身はだいぶ開発学よりだったように思います。

ざっくりとした言い方をすると、
「開発に適した政治体制、国家モデルとは?」
「アフリカと比べてなんでアジアが発展したのか?」
  (ラテンアメリカはその中間に位置してる感じ)
がテーマの授業でした。

Term1はアフリカの政治を(アジアとの対比の視点を持ちつつ)見ていきましたが、
Term2はがっつりアジア、たまにラテンアメリカといった感じでした。
印象的だったのは、日本の持ち上げられ方です。
明治維新後、特に第二次大戦以降の日本の経済成長は、
開発学において1つのモデルケースです。

恥ずかしながら、僕はこの授業を受けるまで、
この事実を、あまり意識していませんでした。
いわゆる「失われた(ウン)十年」生まれの僕にとって、
日本の高度経済成長は教科書の中の話でしたし、
なんとなく日本が"途上国"だったという認識があまりありませんでした。
ヨーロッパの長い歴史から見ると、
とりわけ日本は極東からここ100年、50年で突然伸びた国という認識なのでしょうが、
こうして開発学の中で、"開発の成功例"として
取り上げられるとはあまり思っていませんでした。

そんな気づきを与えてくれたこの授業、
日本やその他東アジア諸国が取り上げられることも多く、
数少ないアジア人であった僕は、授業でも積極的に発言できるはず…
と思っていましたが、
政治学科の学生の特徴なのか、とにかく喋る人が多く、
話が次から次へと移っていくので、
僕はほとんど発言できませんでした…

でも、最後のプレゼンで、割と手応えのある反応があったので、
それで少しは挽回できたかな…




◯Culture in Africa

一番簡単だと思っていたら、意外と難しかったのがこの授業です。
やはり抽象的な話を英語でされると理解されるのが難しい…

「結局、アフリカの文化、ものの見方、哲学なんかは、
そこの言語を理解し、その言語を通してでないと理解するのは難しい」
みたいな話を聞いたり、文献を読んだりしながら、
「そうだよなぁ、俺はこの人の言いたいこと、考え方、ものの見方を、
どこまで理解しているんだろなぁ…」
なんて考えたりもしました。

Term1は総論的な話が多く、ヨルバ文化とスワヒリ文化を学んだだけでしたが、
Term2はソマリ文化、ハウザ文化、ンデベレ文化を各論でさらにやった他、
ITの発達とアフリカ文化の変容といった、最新の研究にもふれられました。

この授業はグループプレゼンがあったのですが、
それも大変でした…
僕のグループは5人だったのですが、とにかく集まりが悪く、
いつも準備の頃はドギマギしていました。
優秀な人が多かったので、プレゼン自体は悪くないのですが、
どうしても担当パートごとにクオリティに差が出てしまっていました。


◯Issues in Development Practice

この授業のみ、半期(Term2)のみの授業でした。
授業に行って、知り合いの大学院生がいるのをみて、
初めて院生と学部生(しかも最終学年の3,4年生)が、
合同で受ける授業であることを知りました。
院生の中には、一度働いたことのある人、
更には開発のフィールドに出た経験のある人もいるので、
かなり授業はハイレベルでした。

レクチャー(講義形式の授業)では、
開発のフィールドで実際に使われる理論、ツール、フレームワークなどを、
それを提唱したり、実践したりしている方がプレゼンしてくださいました。

チュートリアル(議論中心の授業)の方は、
学部生だけだったので、少しは気が楽でした。
レクチャーの方で習ったフレームワークを、
実際にケース・スタディに当てはめてみたり、
具体例を見ながら問題点を検討したりと、
理論中心の他の授業とは雰囲気が違っていたのもあったのかもしれません。
人数が6名くらいしかいなかったこともあって、
意外と発言することが出来ました。

ただ、周りはさすが最終学年。
授業でその道の第一人者が紹介した理論やフレームワークを
ビシバシとチュートリアルでは批判していきます。
こっちでだいぶ批判的思考を身につけられるよう気をつけていますが、
まだまだだなぁと実感させられました。
しかし、最後の方は、だいぶ自分の意見に対しても、
聞く耳を持ってもらえるようになってきた感触があったのは良かったです。


というわけで、4授業すべて振り返りました。
いやー本当にあっという間でしたね。

得られたこととか、考えたこととか、
後悔とか反省とか、色々あるにはありますが、
まぁまた今度時期を見て書きたいと思います。

春休みは、残っているエッセイ2つ、
そして約一ヶ月後に控えた試験に向けての準備に忙しくなりそうです。

SOASは基本的にこのTerm3にすべての授業の試験が集中していて、
僕の場合、評価のほとんどはそこで決まります。
せっかくなら良い評価を取って返りたいのでしっかり勉強したいと思います。


2014/03/03

イギリス旅行記その1 ~リヴァプールとマンチェスター~

しばらく真面目な投稿が続いたので、たまには軽い話を。

ということで、下書きのまま眠っていた記事を完成させようかと思います。
今回は、今まで勉強の合間を塗って訪れたイギリス国内観光・旅行の話を。

第一弾は11月に行った、Liverpool (リヴァプール)とManchester (マンチェスター)。







グレートブリテン島南部にあるロンドンと比べると北の方にあり、
バスで5-6時間程度かかる長旅でした。
(電車でも行けますが、バスのほうが安い場合が大半です。)

リヴァプールとマンチェスター、
どちらも日本人にとって馴染みの深い名前かと思います。
それぞれ、リヴァプールとエヴァートン、
マンチェスター・シティとマンチェスター・ユナイテッドという
サッカープレミアリーグのチームの本拠地があることで有名です。
あ、ちなみにイギリス人に"サッカー"って言ったら怒られます。
"フットボール"と呼びましょう笑
(今調べたら、この4チーム、3月3日現在全部7位以内なんですね。
 →http://www.premierleague.com/en-gb/)

更にリバプールは、かの有名なビートルズ誕生の地でもあります。

しかし、今回の旅のコンセプトは、
サッカーフットボールでもビートルズでもなく、
"奴隷貿易"でした。

もともと、この旅の発案者は、
現在アフリカ大陸一周のバス(というかトラック)ツアーに参加している先輩でした。
大阪大学でアフリカの言語や文化を勉強している先輩が、
そのツアーの出発地であるイギリスを訪れる際に、
是非行ってみたいということで、この旅行が決まりました。

リヴァプールはもともと海商都市として栄えた街ですが、
その貿易品の中には、アフリカ大陸からの"奴隷"も含まれていました。
リヴァプールにはそうした過去の負の歴史を記録した、国際奴隷博物館があります。
(International Slavery Museum: http://www.liverpoolmuseums.org.uk/ism/index.aspx)
そこを訪れるのが、今回の旅の目的でした。

リヴァプールの港の夜景。
かつてここに何人もの奴隷が連れて来られ、新大陸へと運ばれた。






国際奴隷博物館

奴隷を表現した像


その時の感想を言葉で表現するのは難しいですが、
かつて、沖縄、広島、長崎、知覧と第二次大戦の悲劇の地を訪れた時と同じような、
やり場のない怒りというか、途方も無い悲しみというか、
心臓をギュッと締め付けるような、衝撃がありました。

特に360度円形で囲まれた小部屋全体に映し出される、
奴隷船の中の様子を再現した映像は、
当時の奴隷の苦痛がありありと伝わるものでした。

"人を人として扱わない"ということに関しては、
奴隷貿易も戦争も共通したものがあるのではないでしょうか。
奴隷制度が終わり、人権概念が広がってきている今でも、
こうした"非人道的"な扱いはまだまだ残っていると思います。
負の歴史を記録し、人々の記憶に焼き付ける、こうした博物館や史跡は、
現代に生きる私達のあり方を見直す役割があるのかもしれません。

詳しい話に関しては、
先輩のブログにかかれていますので、興味があったら読んでみてください。
(http://ameblo.jp/susumuafrica/entry-11681197260.html)

というわけで、
以降はリヴァプールとマンチェスターの街並みを写真とともにご紹介します。
まずはリヴァプールから。


潮の香りが感じられる、まさに港町でした。

泊まったホステルがあったマシュー・ストリート(Mathew Street)は、
ビートルズがデビューしたキャバーンクラブ(Cavern Club)がある
ビートルズファンのメッカでした。
知らずに行って申し訳なかった…笑

ライブをしたバンドが刻まれています。
ビートルズは別格なのか個人の名前も。
他にもQueenやOasisなどイギリスを代表するバンドが…







ここからはマンチェスター。両都市間はバス、電車共に一時間弱で結ばれています。
イギリス第二の都市の名をバーミンガムと争うだけあり、結構な都会でした。
(ある人によれば、マンチェスターは大阪っぽく、バーミンガムは名古屋っぽいとか…笑)
マンチェスターは都会的要素と伝統的な建物が共存する街







PS2みたいだと盛り上がった建物







科学産業博物館
世界最初の旅客鉄道の駅舎を利用しているそうな。
産業革命発祥の国らしい展示でした。





マンチェスターに限らず、
雨に濡れた石畳はヨーロッパの夜景に映えます。





















というわけで、リヴァプールとマンチェスターの旅行記でした。
両都市ともに博物館・美術館が多く、サッカーフットボールが盛んなところ。
機会があれば是非訪れて、ゆっくりと観光したいものです。

そういえば、先ほど紹介したアフリカ一周中の先輩は、
アフリカの「語り」の歴史を集め、それを紡ぐために旅を続けています。
奴隷貿易の"歴史"も、今回のようにイギリスや西側諸国がまとめた"歴史"とは別に、
アフリカ各地で、口承により伝えられてきた"歴史"もあります。

彼がアフリカ一周の旅の前にこの旅を望んだのは、
この両者を比較するためでもありました。

そんな彼は、現在Ready for?でクラウドファンディングを行っています。

過去の文献資料から、西側諸国がまとめた歴史がある一方で、
アフリカの各地で彼が集める「語り」や「口述」による歴史は、
話し手の話し方、抑揚だけでなく、受け手側の感情、価値観、その場の空気、
時にはそこに加えられる音楽やダンスなどの作用によって、
毎回違った形が成される"アート"です。
そこには、文字では表現しきれない何かがあると思います。

アフリカの各地で彼が聞いてまわり、
彼自身の感受性、哲学に基づき紡ごうとする歴史は、
奴隷博物館とはまた違った形から、私達を写す鏡になるはずです。
(すでにブログにていくつか奴隷制に関する記事を書いています。

彼の意思に賛同し、歴史を紡ぐ旅に共感された方は、
ご協力(寄付、拡散)していただければと思います。

(全然軽い話じゃなくなってしまいましたね、すみません笑)