2014/02/24

2月が終わる前に

今日(もう日付は変わっていますが)は、
日本の外務省とIDDP (英国開発学勉強会)の共催した、
国際機関就職ガイダンスに行ってきました。

イギリスで開発学や国際関係学などを学ぶ日本人学生を主に対象として、
前半は国際機関へ就職するための方法・制度、準備などの話、
後半は実際にギニアのWFP(世界食糧計画)職員として働く方から話をしていただきました。

いわゆるUNICEF (国連児童基金)や、WHO (世界保健機関)などの国際機関は、
採用条件として、
修士号以上の学歴、
2-5年以上の業務に関連する職歴、
職務遂行が可能なレベルの英語やその他の国連公用語の運用能力などが、
最低条件として設けられています。

日本の企業のように、新卒を一括で採用して、
しっかりと社内で育てるといったことはなく、
空いたポストに対して、世界中から応募が集まり、
その中で選考がなされるといったプロセスが一般的です。
(詳しいことが気になる方は、外務省の国際機関人事センターのページなんかがわかりやすいと思います。
http://www.mofa-irc.go.jp/)

要するに、世界中のエリート中のエリートが、
しのぎを削ってようやくポストを得ることができる仕事なのです。

周囲の環境に恵まれたおかげで、
自分も日本国内では、エリートとみなされる部類に入るとは思っていますが、
所詮は"井の中の蛙"なわけであって、
学部で少し留学を経験したくらいで、
特別な専門も職務経験もなく、
英語も働けるレベルにはなく、フランス語は日常会話も成り立たない、
といった立場では、国連のポストなど、
"大海"の向こうの、まだまだ遠く見えないところにあります。

そのことは当然わかってはいましたが、
今日の説明会で、改めて思い知らされました。
「あ、自分まだまだだな」と。
(もっとも、留学中はそんなことの連続ですが笑)

一方で、"お先真っ暗"とまでは言えないかとも思いました。

今日の後半に話をしてくださったWFP職員の方は、
一橋大学の出身の方で、僕が今利用している交換留学制度を利用して、
フランスへの留学を経験された方でした。
(更にお世話になったフランス語の教授も同じ方でした笑)

学部や留学先の違いこそありますが、
やはり同じ大学から、同じように交換留学に行き、
その後、国際公務員というキャリアまで辿り着いた方のお話を聞き、
少しは"光"が見えるような気がしないでもないです。

もちろん、例えここまでは似た経歴であるとは言っても、
その方は、語学も専門も、大学院などでしっかりと勉強をされ、
民間やNGOでの職務経験も積み、
それ相応の努力をしてきて今があることは重々承知しています。

しかし言ってしまえば、
学部レベルで、国際機関へアプライする条件の揃っている人などゼロなわけで、
まずは、その方がされたように、
最低条件を満たすために、少しずつ櫂を漕いでいくしかないわけです。





思えば、国際貢献、途上国援助、開発と言った方向へ向けて舵を切ったのは、
"国際公務員"と言う職業を知ったことがきっかけでした。

小学生の頃、"将来の夢"がテーマの作文か何かを書くために、
家の近くの市民図書館で、
子ども用の職業事典のようなものをパラパラとめくっていた時に、
目に留まったのが"国際公務員"でした。


それまでに僕は、家族旅行で沖縄や広島を訪れたことがあって、
戦争の悲惨さ、恐ろしさを幼いながらに強く感じていました。
一方、テレビの向こうでは、
アフガニスタンやイラクでの紛争・戦争の様子が連日伝えられる様な時代でした。



「なぜ人類は、こんな悲惨な戦争を未だに続けているのだろうか?」



憤りや憂いが入り混じり、疑問符のついた感情が、僕の中で悶々としていました。



そんな時に図書館で見つけた、国際公務員という仕事は、
こうした僕の心の中の"感情"と、将来の"仕事"を繋いでくれました。



「コレだ!国際公務員になって、世界を平和にすればいいんだ!」



それがすべての始まりでした。


もし僕が図書館でその本を手に取っていなかったら、
それまで(ハリーポッターの影響で)夢見ていた、ファンタジー作家を、
今も目指してせっせと本を書いていたかもしれませんし、
もしその本の前のページに書いてあった、
"外交官"の方に惹かれていたら、
今頃国家試験の勉強をしていたかもしれません。

しかし実際には、僕はそこで国際公務員という職業を見つけ、
世界の平和や繁栄に貢献すると決意し、
それからもずっと、こうした国際社会、開発の問題に関心を持ち続け、
今日、SOASで開発学を勉強するに至っています。


これは、本当に、本当に、幸せなことだと思っています。
自分のやりたいことが早くに見つかって、
それに向かって進んでいける環境に恵まれて、
きちんと自分のことを理解して、応援してくれる家族や友人がいて。
ここまで順風満帆に進むことが出来ているのは、
本当に周囲の環境と幸運のおかげだと思っています。

しかし、これからはそう簡単にもいかないでしょう。
当時読んだ職業事典の、国際公務員の"なり方チャート"は、
大学卒業から先、幾つもの枝分かれをしていました。
国際公務員と言っても、各機関、各部署ごとに求められることが当然変わりますし、
更に、今は何も国際公務員だけが、
自分のやりたいことの出来る職業ではないであろうことにも、当然気づいています。
SOASでは、それこそ国際機関は厳しく批判され、
開発そのものを否定する考えも学びました。

目の前にあるのは枝分かれした道ではなく、大きくて広い海に近い気がします。
しかもどうやら、乗り越えなくてはならない波がいくつも待っていそうです。
果たしてその先にゴールと呼べるものがあるのかすらわかりません。
それでもきっと、少しずつ、少しずつ、
自分の思う方向に進む方向に船を進めるしかないのでしょう。




さて、今日こんなふうに自分語りを長々としてしまったのは、
いくつか理由があります。
1つ目は、今日の懇親会で美味しくビールを頂いて、気分が良いから。
2つ目は、後輩に「あんま自分のこと話さないですよね。」と言われて少し気にしているから。
3つ目は、この2月が1つの節目だから。

実は、僕が将来の夢についての作文を書くように言われたのは、
小学校5年生の3学期のことでした。
つまり、国際公務員と言う職業を図書館の本で見つけたのは、
僕が11歳の時、今からちょうど10年前、2004年の2月のことになります。

更に言うと、今日お話いただいたWFP職員の方が、
初めて国際機関でのキャリアをスタートさせたのは30歳前後のこと、
僕からしたら、あと10年ほど先の未来の話になります。


これまでの10年、ここまで進んできた証として、
これからの10年、ここから進んでいく証として、
節目の2月が終わる前に、この文章を残します。




ドーヴァー海峡を渡る船からの景色を。



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